第3回 竹内 一郎さん

演出家・劇作家・漫画原作者・大学講師。
非言語コミュニケーションをわかりやすく説いた著書『人は見た目が9割』(新潮新書)がミリオンセラーに。神奈川県川崎市在住。

国内はもとより、世界中で活躍している本学卒業生の近況をお知らせします。

第3回は、1981年教育学部心理科卒業、多岐の分野に渡って活躍され、 『人は見た目が9割』(新潮新書) の著者でもある竹内さんにご寄稿頂きました。

私の仕事は多ジャンルにまたがっています。演出家、劇作家がメインの仕事。一方で、テレビドラマやラジオドラマの脚本家でもあります。九州大谷短期大学で、演劇科の教員になった1996年から「教育」が仕事に加わりました。その年に「週刊少年マガジン」(講談社)誌に連載を始めた『勝負師伝説 哲也』(原案担当)がヒットしたことから、漫画原作者の肩書が加わります。

常に新しいことに挑戦する、学際的に生きる、が私の信条です。

恩師がくれた転機

1996年は私に転機を与えました。九州大谷短大の専任教員にならないかというオファーがあったものの、自分に教育者になる自信が持てなくて、二人の恩師に相談に行きました。一人は、ゼミの先生である故・間宮武先生(名誉教授)、もう一人は、平出彦仁先生(名誉教授、当時は教育学部長)。

以下、私と間宮先生の会話。

 「教員にならないかという話があるんですが……」

間宮先生 「なんでも経験した方がいいからやった方がいい」

 「でも、私は教員に向いていないと思うのですが…」

間宮先生 「俺もそう思う」

 「えっ!? でも引き受けてから『私は向いていませんでした』と辞めたら相手の学校に迷惑じゃないですか?」

間宮先生 「迷惑だよ。だがね、現実にはそういうことはたくさんあるんだ。いいことではないが、君の経験になるからやりなさい」

いざやってみると私は教育熱心な先生になりました。任地が福岡だったこともあり、専任こそ4年で辞めましたが、今でも、九州大谷短大、東京工芸大、専修大の非常勤講師は続けています。

平出先生はこんなアドバイス。「非言語コミュニケーションの専門家が日本にいないんだ。君は、心理学の基礎があるし、演劇・漫画という非言語メディアの現場にいるから、ユニークな非言語コミュニケーションの入門書が書けると思う。君が書いたらどうだい?」  私は翌年、九州大谷短大に恐らく日本で最初の「非言語コミュニケーション」の講座を開きました。そして八年分の講義ノートを一冊にまとめたのが、『人は見た目が9割』(新潮新書)です。私が横浜国大の卒業生でなければミリオンセラーは生まれていませんでした。


学生証。 証明写真は白黒が一般的な時代

学生時代に尊敬できる先生に出会えた私は幸運でした。間宮先生はまさに「プロフェッサー」という雰囲気の人格者。日本に性差心理学という考え方を根付かせた学者であるだけでなく、性教育の基礎を作った実践家でもあります。口癖は「ウイーク ファースト」。弱者を優先せよ。強くて優しい先生でした。

間宮先生が亡くなられて7年。先生がお好きだったテニスに因んで毎年7月には『ウインブルドンの会』という偲ぶ会をやっています。同会には、杉原一昭筑波大名誉教授、先述の平出先生、蝶間林利男教授、福田幸男学部長、高木秀明教授が集まります。先輩の諸先生方と一緒に、横浜大学(間宮先生はこう呼んでいました)で心から尊敬できる先生に出会えたことの幸運を実感しています。

日本のなつかしい風景、柿生


武相荘の前で

私は川崎市麻生区の柿生に20年以上住んでいます。柿生は、昔は故・遠藤周作氏(作家)住んでいたし、今は馬場あき子さん(歌人)や山室静さん(作家)が住んでいらっしゃいます。近くに劇団民芸のアトリエがあるので俳優さんもたくさん見かけます。また、私の朝の散歩コースに武相荘があります。武相荘は、旧白洲次郎・正子邸で、今では観光名所の一つです。

柿生は近代以前の鄙びた日本の風景が、そこかしこに残ったいい街です。





受賞歴など


最近演出した舞台『白髪の房』のセットの前で

『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』(講談社)でサントリー学芸賞(芸術・文学部門)。

筆名(さいふうめい)で発表した『戯曲・星に願いを』で文化庁・舞台芸術創作奨励賞佳作。

『哲也 雀聖と呼ばれた男』で講談社漫画賞を受賞。

読売新聞などにコラムを連載中。

(担当:総務部 広報・渉外課)


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