第19回 宍戸 充さん

工学部機械工学科 1969年卒業
弁護士(西村あさひ法律事務所 所属) 東京都世田谷区 在住

国内はもとより、世界中で活躍している本学卒業生の近況をお知らせします。

第19回は1969年に工学部機械学科を卒業後、民間会社での勤務を経て司法試験に合格し、裁判官から知的財産高等裁判所判事を最後に退職、現在は弁護士(西村あさひ法律事務所 所属)をされている宍戸さんにご寄稿頂きました。

大学時代

私は、東京オリンピック翌年の昭和40年に大学に入学し、国民総生産(GNP)が資本主義国家の中で第2位に達した昭和44年に卒業ということで、いわゆる高度経済成長という当時の独特な雰囲気の中で機械工学を選択しました。


四国旅行(背景は高知の桂浜です。)

大学に入学して早々、教養課程で物理の教科書であったボルンの「現代物理学」が面白く、高校の物理とはまったく次元の異なる原子・電子の世界、素粒子の世界、量子論などに夢中になり、一昼夜をかけて波動方程式を解いたこともありました。工学の分野でも自動制御のような理論的なものが好きでした。最近ひとことで科学・技術といわれることがありますが、私の興味はどちらかというと科学の方に偏っていたように思います。他方、外国文学にも夢中になりました。こんなことで、機械工学という面からは、あまりまじめな学生ではなかったように思います。

人生の転機

卒業後、民間会社に勤務してエンジニアとして働きましたが、なんとなく飽き足りなさを感じ、特許というものに興味を持っていた関係で、当初は弁理士になろうとも考えましたが、思い直して司法試験に切り換えました。


勤務先の執務室からの光景
(東日本大震災の際、窓から見える東京タワーや
ビルが大きく揺れていました。)

司法試験に合格した後は、検察官、裁判官、弁護士の順で法曹のすべてを経験しました。最も長かったのは裁判官でした。裁判官時代の半分以上が特許などの知的財産関係訴訟の担当でした。特許訴訟などにおいては、特許明細書の解釈が基本で、技術の理解が必要となりますので、理系であったことがかなり役に立ったと思います。
現在は、弁護士という立場で、引き続いて知的財産に関連するさまざまな仕事をしています。また、ロースクールで特許法と著作権法を教えています。

知財法曹の現状

ところで、私のように技術のバックグラウンドを持つ法曹は日本ではいまだ少ないのが現状です。しかし、アメリカではかなり多く、大学で法律のみならず科学・技術系の学位を取得した特許専門弁護士がたくさんおります。この日米の差の一つは、日本で理系と文系とを区別しすぎていることに原因があるのではないかと思っています。
日本では理科や数学が嫌いだと文系の方に行くことが多いと思います。法律学も文系の一つとされていますが、実際のところ、法律学は社会科学の一つで、論理性が必要な点では科学・技術と変わるところがありません。訴訟においては事件ごとに事実の認定と法律の適用を行いますが、常に論理の積み重ねによって結論を導き出すという作業が必要です。おそらく、歴史と数学が好きであれば、法曹の世界はそれほど遠いものではないと思います。

転勤の思い出

私の転勤回数は合計10回にのぼりました。2~4年ごとにまったく見ず知らずの土地で暮らしましたので、子供達に悪影響を与えないようにサポートする必要があり、家族の団結が重要でした。そのため、転勤を楽しむように心掛け、転勤先ではひんぱんに、家族全員でドライブや旅行をするように心がけていました。その中でもっとも思い出深いのは山形でした。
海に山に家族全員でドライブをしましたが、特に冬の蔵王は最高で、我が家から車を運転して1時間弱で蔵王のゲレンデに到着しました。妻と子供達はスキースクールに入りましたが、すぐに滑れるようになり、家族全員でゲレンデを回っていました。


蔵王のゲレンデ

夏の蔵王

現況

自宅のある世田谷区には多摩川、野川、仙川が流れており、また、元は川であった烏山川緑道などがあり、サイクリングロードや散歩道が完備されていますので、四季折々、カメラを抱えてサイクリングや散歩を楽しんでおります。そのほか、庭に来る野鳥の写真を撮ったりもしています。


野川の菜の花

我が家の庭のメジロ

在学生のみなさんへ

理系、文系に全くこだわることなく様々なことを学んだことは、私の視野をたいへん広くしてくれ、物事の見方も様々であることを知りました。理系、文系に分けるのは日本独自の制度であって、欧米には理系、文系という観念はないようです。在校生の皆さんも自分自身に理系のレッテルを貼ることなく、選択の幅を広げるようにしてみてはどうでしょうか。

(担当:総務部 広報・渉外課)


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