保科 知彦(ほしな ともひこ)明照学園樹徳高等学校にて教鞭を執りながら、横浜国立大学大学院教育学研究科に在籍。
フィリピン国籍を持ち、柔道競技フィリピン代表としてロンドンオリンピック2012に出場。桐蔭横浜大学卒。

スポーツが育むグローバルな力

有松 2012年のロンドン五輪に柔道フィリピン代表として出場された保科さんは、まさにスポーツによってグローバルな力を身につけられた方ですね。

保科 ありがとうございます。日本人の父とフィリピン人の母の間に生まれた私にとって、父の影響で小学校6年から始めた柔道は、自己確立の手段でした。中学1年のとき父が他界し、その後は父への思いを胸にずっと柔道を続けてきました。自分の境遇について悩むこともありましたが、柔道によって精神的に鍛えられました。日本で生まれ育った自分がフィリピン代表として五輪に出場することを選んだのも、私と同じような境遇の子どもたちに「僕もできるんだ」という自己肯定感を与えられるのではないかと考えたためです。私には、日本とフィリピン両方の個性が備わっている。だから「ハーフ」ではなく「ダブル」だと自らを表現しています。

木村 柔道は世界200カ国以上が国際連盟に参加する代表的な国際競技です。中でもフランスは日本の3倍以上の競技人口を誇る柔道大国ですが、競技者の多くが子供たちです。その背景には、移民が多く貧富の差も激しいフランスの社会事情があります。保護者たちは、子どもが幼いうちに礼儀や人とのつながり、協調・共生を学ぶには柔道が一番だと考えているのです。フランスへ行くと多くの人から「道場は僕たちの人生の学校です」という言葉を聞きます。

保科 私にとっても道場は人生の学校です。父を早く亡くしたため、多くの先生方が父親代わりになってくださいました。日本の武道は一般の競技スポーツと異なり、ルールに含まれない礼儀や出で立ちなどに最高のパフォーマンスがあります。中学校で武道が必修化されるなど、学校体育において武道が見直されていることは、心の教育が自然に行われるという意味でとても喜ばしいことです。

木村 日本社会もさらに国際化されていくはずですから、武道を含めスポーツの役割はますます大きくなるでしょう。

保科 これから増えていく「ダブル」の子供たちに夢や希望を与えられるように、さらに努力していきたいと思っています。

トップアスリートの力を活かす取組み

有松 この数年は日本のスポーツにとって大きな節目の時期で、2011年に施行された「スポーツ基本法」に基づき、2012年には「スポーツ基本計画」も策定されました。奇しくも嘉納治五郎会長の下、日本体育協会の前身である大日本体育協会が設立されてから百年、国の責任としてスポーツを推進していくための法律が整ったわけです。子どもたちの体力向上、地域におけるスポーツ振興、トップスポーツの競技力向上などさまざまな計画が始まりましたが、特に地域スポーツとトップスポーツの好循環をつくる仕組みづくりを目指していることが重要だと思います。たとえば保科さんのようなオリンピアンが地域のスポーツクラブで指導する機会が増えれば、子どもたちの意欲も高まり、未来のトップアスリート誕生のきっかけとなる可能性があります。トップアスリートにとっても、子どもたちとの触れ合いが大きな刺激になるでしょう。

木村 確かに、学校体育の分野では日本は諸外国に比べ遥かに進んでいると思いますが、地域スポーツの分野ではまだまだですね。ヨーロッパでは、地域のクラブチームがアスリートを育てるシステムが確立されていて、金メダリストや有名選手を輩出することがクラブの大きな誇りになっています。

有松 もうひとつの大きな課題が、スポーツ基本計画で「デュアルキャリア」として掲げている、現役引退後のキャリアに必要な教育や職業訓練を受け、将来に備えることなど、アスリートのスポーツキャリア形成のための支援です。トップアスリートに地域の指導者として活躍してもらうためにも、競技と学業を両立しやすい環境を整備し、現役引退後に備えられるようにサポートしなければなりません。大学も、これからは積極的にデュアルキャリア支援に取り組んでいくことが必要だと思います。

有松 育子(ありまつ いくこ)横浜国立大学 理事(財務・施設担当)・事務局長。文部科学省スポーツ・青少年局企画・体育課長、同省官房審議官(スポーツ・青少年局担当)等を歴任し2012年8月より現職。

木村 海外では五輪選手が現役生活を終えてから弁護士や医師へ転身するケースが決して珍しくありませんが、日本は「文武両道」という言葉がある一方で「二兎を追うものは一兎をも得ず」とも言われ、競技と学業の両立が難しい。しかし、二兎を追わなければ二兎は得られません。高い目標を追い求めてひとつ上のステージへ上った時、新しい可能性が見えてくる。僕は、どんどん二兎を追ってほしいと思いますね。

有松 地域では、子どもたちの中からタレント発掘が積極的に行われ始めています。今までは才能のある子どもがたまたま向いている競技に出会う、という偶然のマッチングでアスリートが育つケースが多かったのですが、地域のスポーツクラブや自治体が優れた能力を持つ子どもに多くの競技に触れる機会を与え、育成する試みが始まっています。

木村 日本のスポーツは、発掘・育成・強化・セカンドキャリアという一貫指導システム構築の段階に入ったということですね。

地域スポーツの核として機能するために

保科 横浜国立大学は地域スポーツ活性化の取組みとして、2005年からYNUS(「ワイナス」特定非営利活動法人YNUスポーツアカデミー)に協力支援を行っていますね。私も大学院1、2年生の頃はYNUSで小学生に柔道を教える機会がありました。子どもたちにはまず、柔道を楽しんで好きになってもらいたいと思って指導しました。

木村 大学の指導者や大学院生が主体になって進めていますが、いつも感じるのは子供たちの反応がすばらしいということ。教え方や言葉かけの工夫ひとつでぐっと伸びるのです。教育人間科学部には小学校教員を目指す学生が多いので、勉強のためにも彼らにはもっとYNUSに関わる機会を与えたいと思います。また、種目の枠を超えて一体となった活動を広げたいですね。

有松 大学としては、地域の皆さんを巻き込んでスポーツを広げる新しい取組みとして、学内のスポーツ施設をもっと地域の皆さんに開放していきたいと考えています。その一環としてまず計画しているのがジョギングコースの整備です。既にキャンパス内をジョギングしている方をお見かけすることも多いので、長いコースと短いコースを作って距離の目安となる表示を設置するなど、より使いやすくすることを計画中です。また、自治体とも連携し、横浜国立大学が地域スポーツの核となれるように進めていきたいですね。

木村 地域の人が集まってスポーツを楽しむ場所は、大人が子どもたちにさまざまな社会的ルールや知恵を教える場にもなりますね。それに、スポーツはもともと課題解決力を養うもの。勝つためには瞬時の対応力と、次のアクションへの判断力が求められます。人間関係を円滑にする術を学ぶ上でも、役立ちます。

木村 昌彦(きむら まさひこ)横浜国立大学 教育人間科学部教授/柔道部顧問。専門はスポーツ科学。全日本柔道連盟や日本オリンピック委員会の各種委員を務め、ロンドンオリンピック2012にも柔道日本代表選手団として同行。

保科 私はいま、高校教員として働きながら大学院で指導法を学んでいます。教師としてはまだまだ新米ですが、スポーツで学んだ経験を社会貢献にも役立てていきたいですね。

有松 スポーツを通じて世界への理解を深め、国際交流を促進していくこともできます。真摯に闘うアスリートの姿は、観戦する人々に元気を与えてくれます。スポーツが持つさまざまな力を人々の幸せに役立てるために我々に何ができるか考え、具現化に取り組んでいきたいと考えています。