成田 憲一(なりた・けんいち)財団法人横浜観光コンベンション・ビューロー専務理事。平成20年株式会社横浜国際平和会議場専務取締役に就任。平成21年より現職。

「偉大なる周縁」としての横浜の魅力

川添 横浜国立大学は、横浜の社会と文化のさらなる発展のために、横浜市とより緊密な連携を図るべく、「もっと横浜」プロジェクトを立ち上げましたが、これについては(財)横浜観光コンベンション・ビューロー様にもいろいろとご協力いただいております。その第1回目の企画として、この2月に開催した「港町YOKOHAMAクルーズスタディツアー&トークイベント」には、成田さんご自身にもおいでいただき、励ましの言葉を頂戴しました。

成田 横浜についての新しい発見に満ちた、たいへん興味深いイベントでした。横浜国立大学の学生さんをはじめ、若い人たちが横浜という街に興味を持ち、積極的にかかわろうとする姿を見せていただくと、私どもも大変に力づけられます。

川添 実際、横浜という街に魅かれて本学に入学する学生は少なくありません。毎年学部入学者の8割ほどが神奈川県外の出身者です。

そんな横浜の魅力とは何なのか。成田さんはそれを、お仕事として考え続けていらっしゃるわけですが、ズバリ、横浜の魅力はどこにあるとお考えですか?

成田 客船が港を出ていく光景ひとつをとってみても、たしかに横浜には、他ではなかなか味わえない風情がありますよね。

2009年に開港150周年を迎えたわけですが、その歴史を通して、横浜は海外との窓口、接点の役割を果たしてきました。「港」というツールを持つ横浜に、欧米やアジアからモノや人、さらには文化が流れ込み、ここから日本中に広がっていった。逆に日本全国からモノや人が集まり、ここから海外へ出ていった。横浜は、まさに国際都市を実践してきた街なのです。

その結果、横浜には多様な民族性や文化が混在し、独特な先進性が備わることになりました。そこから生まれる一種不可思議な、また世界に開かれたイメージは、横浜の魅力の大きな要因になっていると思います。

川添 日本が開国するとき、まず下田と函館が開港する。でも、いずれも江戸から遠すぎて欧米が納得しない。しかし、幕府の側は、とにかく江戸の中に踏み込まれたくない。そこで、ギリギリの線として開港したのが横浜です。つまり、横浜とは江戸・東京のあくまでも外側で、海外と接する周縁という位置づけなんです。

しかし、それは「偉大なる周縁」に成長して、中心にはない開放性や共生の精神を育てていった。中心には、中心であり続けなければならないという責務がある。横浜は周縁ならではの身軽さを満喫し、いろいろなものを自由に取り込むことができた。と同時に、距離的には中心に近いという便利さもある。だから、ある部分では中心を超える先駆性を獲得できたのです。

成田 周縁ゆえの歴史の浅さも、横浜にとってはプラスになりましたね。開港以前の蓄積がなかった分、自分たちの発想でなにもかも新しく創り上げていくことができましたから。むろん、外国のモノも取り入れやすかったわけです。



キーワードは「うるおい」

川添 横浜には今後も、「偉大なる周縁」として先駆けになってもらいたいですが、これからの重要なキーワードは「うるおい」だと思うのです。

中心の論理はひたすら効率を追求し、それが人間関係の希薄化や社会の不安定化といった問題を生んでいる。でも、周縁は立ち位置を変えて、社会と文化を「再人間化(リヒューマナイズ)」することができないだろうか。そのときのキーワードが「うるおい」だと思うのです。

成田 フランクフルトの観光公社国際部長さんが先日初めて横浜に来て、とても気に入ったと言うんです。東京とはまるで違う、ほっと心が安まる空間、いわば「住む」ための空間があると。これが、その「うるおい」ということですよね。

横浜には国際会議場「パシフィコ横浜」がありますが、こうした施設が街と一体化している例は、わが国では珍しい。開催される会議やイベントを街ぐるみでサポートする形で、利便性が良いことは言うまでもありませんが、それだけでなく、街が「うるおい」のようなものも提供できているとすれば、参加者の満足度は大きいですよ。

川添 「うるおい」という言葉はまた、港に面し、いくつもの川が流れる横浜の地理的特長とも響き合います。

成田 そうですね、横浜はもともと運河の街でしたから。

川添 裕(かわぞえ・ゆう)横浜国立大学教育人間科学部教授。20数年の出版マスコミ生活を経て大学教員に。専門は日本文化史、国際横浜学。

川添 その意味ではアムステルダムのような、水辺を生かした空間ができないものかとも考えます。もちろん、都市アムステルダムの存立基盤がそうであるように、水害や水難からの安全の確保は大前提ですが。

横浜では最近、クルーザーで大岡川をさかのぼって桜を見たり、カヌーを浮かべたりする企画が登場していますね。

成田 文化的「うるおい」という意味では、横浜には美術館・博物館が、企業や個人などが運営する小規模なものも含めると、100館あまりもあるんです。ショートフィルム専門の常設映画館のようなユニークな施設もある。こうしたことも、実はあまり知られていません。

また、日本三名園にも匹敵するような「三溪園」が本牧にあります。

川添 豊富な文化資源、観光資源を生かしきれていないわけですね。

ネットワーク化と若者のパワー

川添 そうした文化観光面をはじめ、横浜のさまざまな魅力をアピールし、街をより活性化するためには、どんなことが必要だとお考えですか。

成田 まず重要なのはネットワーク化。たとえばレストランでも、中華街だけでなく素晴らしい店がたくさんあるのですが、宣伝がバラバラでなかなか知名度が上がらない。

ここ6、7年、ようやくいろいろなところで連携の動きが見え始め、異業種の人たちが集まってひとつのテーマを議論する「オール横浜」的試みも出てきました。

川添 その意味では、施設やスポットをつなげて、ルートあるいはエリアとして提供することが大切ですね。いま私のゼミでは試験的に、場所をつなぐスタンプラリーづくりを考えています。

成田 周辺の観光地との連携も必要です。たとえば鎌倉などへのアクセスを整備して、横浜を中心にバラエティに富んだ観光を楽しめるようにするなど。

川添 私ども大学に期待されることは?

成田 大いにあります。これは開港150周年であらためて証明されたことですが、実は横浜という街は、市民のパワーがすごいんですね。何かを作ろうとする情熱、行動力、ボランティアとして人を助けようという精神、これも、横浜の特長、魅力のひとつといっていいでしょう。

そこに、ぜひ若い学生たちのパワーを加えていただきたい。若者ならではの柔軟な発想でさまざまな提案をしてもらうことによって、よりアクティブで将来性のある動きが生まれてくるのではないかと。

ですから、「もっと横浜」プロジェクトのこれからがとても楽しみなんです。

川添 教育人間科学部の人間文化課程では、「スタジオ教育」といって、学生が街へ出て実践的に学ぶ試みを今年から本格化します。せっかく横浜というすばらしい環境の中で大学生活を送るわけですから、この街が提供してくれるものをできるかぎり体験してほしいのです。

そのなかで、横浜という街の「記憶のアーカイヴ化」も考えているのですが、まずは学生自身が横浜でいい記憶を積み重ねてくれるとうれしいですね。そうすれば、卒業後横浜の近くで就職するかもしれないし、よそで就職しても、いろいろな機会に繰り返し横浜を訪れてくれるでしょう。

成田 貴学は留学生も多いはずですよね。それも、数時間で往復できるようなアジア地域の若者たちが。彼らの発想やパワーも大切にしたいと思います。

川添 国際関係においても、中心同士は衝突しがちですが、周縁は手をつなぎやすい。彼らがそういう横浜の独特な視点から、日本を眺め、世界を眺めて、行動してくれたらいいですね。

本日は貴重なお話をありがとうございました。