【プレスリリース】アミノ酸系発光分子で指紋を可視化
本研究のポイント
・アミノ酸系発光分子の水溶液により指紋を検出することに成功
・従来の粉末法よりも高分解能で潜在指紋の微細な情報を観察可能
・安全で簡便な指紋検出剤としての応用に期待
研究概要
横浜国立大学の伊藤 傑 准教授、近畿大学の今井 喜胤 教授らの共同研究グループは、天然アミノ酸のプロリンに発光性部位を結合した分子を開発し、潜在指紋[用語1]を高精細に可視化することに成功しました。本研究で開発した分子は、親水性のアミノ酸部位と親油性の発光部位を併せ持つ構造であり、水溶液として潜在指紋に滴下すると指紋に含まれる皮脂成分に抽出され、紫外光照射時に強い緑色発光を示します。本手法では、発光分子の低濃度水溶液を用いて潜在指紋を短時間処理するだけで、指紋の紋様のみならず、個人識別の精度向上に重要な汗孔の形状まで観察することができました。本成果は、安全で簡便な指紋検出法の開発につながることが期待されます。
本成果は国際学術雑誌「Advanced Optical Materials」(2026年6月15日付)のオンライン版で公開されました。
社会的な背景
犯罪捜査や個人識別において、指紋は重要な生体情報の一つですが、犯罪現場などに残される指紋の多くは肉眼では見えにくい「潜在指紋」であるため、これを可視化する技術が必要です。現在広く用いられている粉末法は簡便であるものの、指紋の細かな特徴を明瞭に読み取るには限界があります。近年、蛍光発光性の試薬を用いる方法が、高感度かつ高精細に指紋を可視化する手法として注目されていますが、これまでは揮発性有機溶媒や比較的高濃度の試薬が必要となり、安全性やコストの面で課題がありました。
研究成果
本研究では、天然アミノ酸の一種であるプロリンを蛍光発光性部位に結合した新しい有機発光分子を開発することで、潜在指紋の高精細な可視化を実現しました(図1)。この分子は、電子を与える部位と受け取る部位を連結したドナー・アクセプター構造の親油性発光部位を、親水性のプロリン構造と結合した分子設計となっています(図2a)。ドナー・アクセプター構造の発光分子は、周囲の極性に応じて発光色が変化する蛍光ソルバトクロミズム特性[用語2]を有しています。これらの特徴に基づき、水溶液中では弱く橙色に発光する本分子を潜在指紋に滴下すると、指紋に含まれる脂肪酸などの皮脂成分に発光分子が移動し、水溶液を除去した後に紫外光を照射すると指紋の隆線部分を強い緑色発光として可視化することができました。具体的には、5 µMの水溶液を用いることで5分以内に指紋の基本パターンを可視化でき、20 µMの水溶液では10秒程度の処理でスマートフォンによる撮影でも明瞭に指紋像を確認できました。さらに、蛍光顕微鏡を使うことで、個人識別に有用なレベル3特徴[用語3]の汗孔も読み取ることができました(図2b)。本分子は指紋検出に有用なだけでなく、プロリン構造がキラリティを持つため、結晶状態で緑色発光の円偏光発光(CPL)[用語4]を示しました。また、結晶をこすると発光色が橙色に変わり、水蒸気により元に戻る水蒸気応答性メカノクロミック発光[用語5]を示しました(図2c)。このように、アミノ酸部位と発光部位を連結する分子設計は、複数の発光機能を備えた分子の創製に有効でした。
今後の展開
本研究では、親油性の発光部位に親水性のアミノ酸を結合した分子設計により、潜在指紋を高精細に可視化できる水溶液を調製できることが示されました。今後は、本設計指針に基づく多様な発光分子を合成し、さらなる高感度化や高精細化を達成することで、犯罪捜査や鑑識現場で用いられる指紋検出剤への応用が期待されます。また、本研究で確立した分子設計は、指紋検出に限らず、微量有機成分の可視化や、環境応答型センサー、情報記録・偽造防止材料など、幅広い発光センシング材料の開発につながる可能性があります。
謝辞
本研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 個人型研究(さきがけ)「原子・分子の自在配列と特性・機能」(課題番号:JPMJPR21A3)、同 チーム型研究(CREST)「独創的原理に基づく革新的光科学技術の創成」(課題番号:JPMJCR2001)、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業(課題番号:JP23H02040、JP24K01451)の支援により実施されました。
用語解説
[用語1]
潜在指紋:汗や皮脂などの成分が物体表面に移ることで形成される指紋の紋様のこと。犯罪捜査や個人識別において重要な情報となる。肉眼では見えにくいため、観察するためには、粉末法などの物理的方法や薬品を用いる化学的方法などにより可視化する必要がある。
[用語2]
蛍光ソルバトクロミズム特性:有機溶媒に溶解した分子の蛍光発光色が溶媒極性の違いによって変化する性質のこと。蛍光ソルバトクロミズムを示す分子は、溶媒に限らず、周囲環境の極性に応じて発光色が変化する。本研究で開発した分子は、極性の高い水中では弱い橙色発光を示すが、低極性の潜在指紋中では強い緑色発光を示す。
[用語3]
レベル3特徴:指紋の特徴は、指紋全体の模様を示すレベル1特徴、隆線の分岐や端点などのレベル2特徴、汗孔の位置や形状などのレベル3特徴に分類される。レベル3特徴は、最も微細な構造情報であり、高精度な個人識別に有用な情報とされている。
[用語4]
円偏光発光(CPL: Circularly Polarized Luminescence):電場と磁場の振動方向が偏り、進行方向に対して電場と磁場が円を描くように振動する光(電磁波)を円偏光という。電場ベクトルの回転の方向に応じて右回り(右円偏光)と左回り(左円偏光)となる。キラル分子は、右円偏光と左円偏光の割合に偏りが生じた円偏光発光(CPL)を生じる。CPLは、3次元ディスプレイやセキュリティ技術などへの応用が期待されている。
[用語5]
メカノクロミック発光(MCL: Mechanochromic Luminescence):固体材料が光エネルギーを吸収した際に生じる発光色が、こするなどの機械的刺激を加えることで変化し、加熱や有機溶媒の曝露(ばくろ)などにより元に戻る現象をメカノクロミック発光(MCL)と呼ぶ。有機結晶のMCLでは、機械的刺激を加えると、分子の配列が揃った結晶状態から分子の配列が乱れた非晶質状態に変わることが、発光色の変化をもたらす主な要因となる。
論文情報
| 掲載誌 | Advanced Optical Materials |
|---|---|
| タイトル | A Proline-Integrated Donor–Acceptor Fluorophore: Water-Vapor-Responsive Mechanochromic Luminescence and Latent Fingerprint Visualization (プロリンを組み込んだドナー・アクセプター蛍光分子:水蒸気応答性メカノクロミック発光と潜在指紋の可視化) |
| 著者 | Hao Chen (陳豪), Kazuki Kato (加藤和希), Yoshitane Imai (今井喜胤)*, Suguru Ito (伊藤傑)* |
| DOI | 10.1002/adom.71360 |
資料
研究者プロフィール
伊藤 傑![]()
大学院工学研究院 准教授
お問い合わせ先
<研究に関すること>
横浜国立大学 大学院工学研究院 准教授 伊藤 傑
メールアドレス: suguru-ito
ynu.ac.jp
<報道に関すること>
横浜国立大学 総務企画部 リレーション推進課
メールアドレス: press
ynu.ac.jp
(担当:リレーション推進課)

