【プレスリリース】電気の力で芳香環に炭素を一つ加える新しい分子変換法を発見
本研究のポイント
・電気化学酸化により芳香環上にラジカルカチオンを生成し、炭素原子を一つ導入する新たな分子変換反応を開発しました。
・α-水素を持つジアゾエステルを炭素源として用い、環拡大型のC–C結合形成を位置選択的に達成しました。
・挿入位置の選択性は、基質の電子状態に依存することを実験・計算の両面から明らかにし、特にpara位への選択的な炭素挿入を実現しました。
研究概要
本研究では、電気の力を使って、芳香族五員環化合物であるピロールに炭素原子を一つ挿入し、六員環のピリジンに変換する新しい化学反応を開発しました。この反応は、電極で生成されるラジカルカチオン中間体を経由して進行し、α-Hジアゾエステルを炭素源として利用します。特に、電子を引き寄せる性質を持つ保護基を導入することで、これまで難しかったpara位への選択的な炭素挿入を達成することに成功しました。さらに、実験と理論計算により、挿入位置の選び方が分子の電子構造や酸化のしやすさによって決まることも明らかにしました。本研究は、芳香環の位置選択的な改変を可能にする新たな合成技術として、今後の分子設計や創薬研究に貢献することが期待されます。
本研究成果は米国化学会の雑誌Journal of the American Chemical Society に受理され、オンライン版が 2025年7月15 日に公表されます。
社会的な背景
芳香族化合物は、医薬品や機能性材料の中核をなす基本構造として、現代化学において極めて重要な役割を果たしています。これらの化合物の機能性や物性は、環上の原子や官能基の配置によって大きく左右されます。特に、芳香環に対して特定の位置に選択的に原子や置換基を導入する「位置選択的変換」は、分子設計の精密さが求められる医薬品開発において不可欠です。特に最近では、前駆体環状化合物に任意の元素を導入する環拡大反応による芳香族化合物の合成が注目されています。しかし、従来の環拡大反応は、求電子置換型の2電子反応機構に基づくため、導入できる位置に制限がありました。
近年、電気化学を用いた分子変換技術が、持続可能な合成手法として注目を集めています。電気の力で分子を選択的に活性化することで、有害な試薬を用いず、室温・常圧といった穏やかな条件での反応が可能となります。本研究では、こうした電気化学的アプローチを用いて、芳香環に炭素原子を一つ挿入するという、従来にはない新しい骨格変換を実現しました。特に、1電子酸化種(ラジカルカチオン種)を中間体とすることで、従来では不可能であった導入選択性を発現することに成功しました。これは、医薬品をはじめとする機能性化学品の合成の多様性と効率性を飛躍的に高める可能性を持ち、将来的には創薬化学に革新をもたらすことが期待されます。
研究成果
横浜国立大学の信田尚毅准教授、跡部真人教授らの研究グループは、京都大学、英・バース大学、富山大学、国際医療福祉大学、東京大学の研究グループと共同で、有機化学の基本骨格のひとつであるピロール環に、炭素原子を一つ挿入してピリジン環へと変換する、新しい電気化学的反応の開発に成功しました(図1)。特に注目すべきは、炭素挿入反応が特定の位置、すなわちpara位(対向する位置)に高い選択性を持って進行するという点です。これは、これまで前例のない反応様式であり、芳香環の精密な位置改変を可能にする技術として大きな進展となります。
この反応では、まず電極上でピロールを一電子酸化し、ラジカルカチオンと呼ばれる一時的に不安定な中間体を生成します。この中間体に対し、炭素供給源としてα-Hジアゾエステルを反応させることで、窒素分子(N₂)の脱離を伴いながら、炭素原子がピロール環に挿入されるというメカニズムを経て、ピリジン構造が形成されます。特に本研究では、電子を引きつける性質を持つ保護基をピロールの窒素原子に導入することで、芳香環の電子状態を調整し、挿入される炭素の位置を精密に制御することに成功しました。この戦略により、7種類以上のピロール誘導体から、高い収率でpara-挿入型のピリジン誘導体を得ることができました。
さらに、反応のメカニズムに関しては、実験結果だけでなく、理論計算やサイクリックボルタンメトリーといった電気化学的手法を駆使して解析を行いました。その結果、反応の進行には中間体のラジカルカチオンの安定性や酸化電位が深く関わっていることが明らかとなりました。具体的には、酸化電位が高くなることで中間体がより求電子的となり、ジアゾエステルとの反応性が高まること、また反応の選択性(meta vs. para)が基質の電子構造によって変化することなどが分かりました。
このように、本研究は、電気の力によって芳香族分子の骨格を一原子単位で自在に組み替えるという、新しい化学反応の概念を提示したものです。今後は、より複雑な芳香族化合物への応用や、医薬品中間体の設計への展開が期待されます。

今後の展開
本研究で確立した電気化学的一炭素挿入法は、芳香環の構造を高精度で改変する新しい手法として、今後の有機合成化学の発展に寄与することが期待されます。特に、本反応が示した「para位選択的なC–C結合形成」は従来の化学手法では困難であり、化学修飾の自由度を大きく広げる可能性を秘めた要素技術となります。
今後は、より多様な芳香環や複雑な分子構造に対する適用を検討し、医薬品中間体や機能性材料の合成への応用を目指します。また、今回明らかとなった電子構造と選択性の関係性をさらに深く探ることで、反応の予測性と設計自由度を高めた分子変換手法へと発展させていきます。加えて、本反応のフロー電解への展開や、触媒的手法との融合によるスケールアップ・高効率化も視野に入れ、実用的な合成プロセスの構築を進めてまいります。
謝辞
本研究は文部科学省 科学研究費補助金(課題番号:21H05215、23H04916、24H00394)の支援を受けて実施されました。
論文情報
掲載誌 | Journal of the American Chemical Society |
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タイトル | Electrochemical Single-Carbon Insertion via Distonic Radical Cation Intermediates |
著者 | atsuya Morimoto, Yoshio Nishimoto, Taku Suzuki-Osborne, Su-Gi Chong, Kazuhiro Okamoto, Tomoki Yoneda, Azusa Kikuchi, Daisuke Yokogawa, Mahito Atobe,* Naoki Shida* |
DOI | https://doi.org/10.1021/jacs.5c06798![]() |
資料
研究者プロフィール
信田 尚毅
大学院工学研究院 准教授
跡部 真人
大学院工学研究院 教授
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大学院工学研究院 准教授 信田 尚毅
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大学院工学研究院 教授 跡部 真人
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