【プレスリリース】マルチモーダル解析で酸素発生反応(OER)の鍵を握る“活性点”を特定:酸化イリジウム触媒の構造が高性能の秘密を握る
概要
横浜国立大学大学院工学研究院 光島重徳 教授、京都大学大学院人間・環境学研究科Neha Thakur博士研究員、内本喜晴 同教授らの研究グループは、田中貴金属工業株式会社、技術研究組合FC-Cubic、横浜国立大学、九州大学、奈良女子大学、島根大学、立命館大学と共同で、水を電気分解して水素を製造する水電解(#1)の鍵となる酸素発生反応(OER)において、酸化イリジウム触媒の高い活性の起源を解明しました。
再生可能エネルギー由来の電力を利用した水電解によるグリーン水素の製造は、カーボンニュートラルへ向けたエネルギーシステムの中で重要な役割を果たします。固体高分子水電解は高効率で高純度な水素製造法であり、酸素発生反応(OER)の触媒の特性がさらなる効率向上に重要です。OER触媒にはイリジウムを含む酸化物が用いられていますが、階層構造を持つ電極表面の反応は複雑な要因によって支配されるため、これまでその特性が何によって決まっているのかが不明であり、開発の指針を決めるのが困難な状況でした。今回、このような階層構造における要因解析を進めるため、複数の高度解析手法を組み合わせるマルチモーダル解析(#2)により、活性点の同定に成功しました。X線回折およびX線全散乱測定(二体相関関数解析(#3))、「その場」(#4)硬X線吸収分光測定、「その場」軟X線吸収分光測定、「その場」表面増強赤外分光測定(#5) 、硬X線光電子分光測定、高分解能透過電子顕微鏡測定と理論計算を組み合わせることにより、酸化イリジウム中の単斜晶相の割合とOER活性(#6)が相関することを発見しました。
この成果は、高効率かつ安定的な固体高分子水電解の開発を後押しするものです。これまで、活性がどのような因子で決定しているのかが不明であった触媒の開発において、複数の高度解析手法を統合的に活用するマルチモーダル解析の重要性を示したものです。この手法を用いて、飛躍的に性能が向上した触媒の開発が実現し、脱炭素社会の実現に向けた基盤技術の一つとなる可能性を秘めています。
本研究成果は、2025年8月19日に、アメリカ化学会の「Journal of the American Chemical Society」誌にオンライン掲載されました。

研究の背景
水素は地球温暖化対策や再生可能エネルギー活用の切り札として注目を集めています。太陽光や風力は発電量が天候や時間帯で大きく変動するため、余剰電力を貯蔵・輸送できる水素を介したエネルギーシステムが必要です。水電解技術はクリーンに水素をつくり出す手段として有望であり、再生可能電力を効率よく化学エネルギーとして固定化できる点が最大のメリットです。
水電解の中でも固体高分子型は、高いエネルギー変換効率と応答性を兼ね備え、将来のグリーン水素製造プラントや住宅用小型装置まで幅広く適用が期待されています。陰極側の水素生成(HER: 水素発生反応)は電子移動が2段階で済む比較的速い反応で、白金触媒によって十分に高い効率が得られています。一方、陽極側で水を酸素と水素イオンに分解する反応(OER: 酸素発生反応)は4段階の電子移動を伴う複雑な反応で反応速度が遅く、セル電圧を大きく上昇させる原因となっています。つまり、OER性能を改善しなければ、全体のエネルギー変換効率は頭打ちになります。
現在、OER触媒として最も有望なのがイリジウムを含む酸化物です。しかし、安定なイリジウム酸化物が再表面に形成されているにも関わらず、そのOER活性は大きく異なります。その理由については様々な報告がありますが、統一的な理解がされておらず、触媒の設計指針が未確立です。今後の触媒開発にとって、OER活性が何によって決定されるのかを知ることが極めて重要です。
研究手法・成果
本研究では、4種の酸化イリジウム試料(SA58、SA103、SA14.6、SA3.5)を調製しました。ここで、SAの後ろの数字は各試料のBET表面積を反映しています。これらのサンプルは合成条件の変化に伴い、正方晶(tetragonal)から、斜方晶(orthorhombic)+単斜晶(monoclinic)が支配的な領域へと連続的に局所構造・組成がシフトします。
図1に示すように、電気化学測定では、単斜晶の割合とOER活性が相関を示し、単斜晶の割合が高ければ活性が高いことが分かります。大型放射光施設SPring-8#7を用いた「その場」酸素K吸収端X線吸収分光測定と「その場」表面増強赤外吸収分光測定を用いることにより、OERの中間体の計測が可能となります。単斜晶の割合が多い試料では、電位上昇に伴い欠陥由来のO⁻種(OI⁻)と中間体*OOHの生成が大きく増加し、OERの律速段階である中間体*OOHが形成する過程が加速する様子を直接観測しました。X線回折と二体相関関数解析によって得られた構造モデルを用いて、スラブモデルを用いた密度汎関数理論(DFT)計算#8を行い、単斜晶面における理論過電圧が約0.27 Vと最も低いことを示しました。複数の高度解析結果と理論計算を組み合わせたマルチモーダル解析によってイリジウムを含む酸化物のOER活性を支配する因子の解明に成功しました。
波及効果・今後の予定
本研究では、様々な局所対称性を制御した酸化イリジウム触媒におけるOER活性評価を行い、低対称性試料の表面構造がOER活性を飛躍的に高めることを明らかにしました。具体的には、単斜晶構造の含有率を高めることでOER活性が大幅に増加します。イリジウムは希少金属であり、その含有量を軽減する試みが活発に行われています。本研究の触媒設計指針を用いることで、試行錯誤に頼らない触媒開発が可能となり、開発スピードの大幅な低減が可能となります。今後、この手法を社会実装することで、触媒コストの低減とエネルギー効率の向上という、相反する要件を同時に満たし、再生可能エネルギー由来の電力を有効活用する水素製造プラントや、大規模グリーン水素インフラの展開を強力に後押しします。また、本研究で用いたマルチモーダル解析手法は、その他の水電解や燃料電池触媒開発に対しても有効であり、様々な触媒開発のための有効なプラットフォームを与えるものです。今後、DX技術の導入により、一層の高速化・高度化が進むことが期待されます。
研究プロジェクトについて
本研究は、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)2020年度~2024年度「燃料電池等利用の飛躍的拡大に向けた共通課題解決型産学官連携研究開発事業/水素利用等高度化先端技術開発/常温水電解の実用化基盤研究プラットフォームの構築」(JPNP20003)および、2025年度~2029年度「水素利用拡大に向けた共通基盤強化のための研究開発事業/燃料電池・水電解の共通基盤技術開発/燃料電池および水電解の材料解析共通基盤プラットフォームの構築と高度化」(JPNP25002)国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)「水素利用拡大に向けた共通基盤強化のための研究開発事業/燃料電池および水電解の材料解析共通基盤プラットフォームの構築と高度化」による助成を受けて実施されました。同事業においては、世界最高水準の解析技術を備える共通基盤材料分析・解析プラットフォームを構築し運営することを目標としています。
あわせて、本研究は、文部科学省 科学研究費補助金 学術変革領域研究(A)「超セラミックス:分子が拓く無機材料のフロンティア」の支援を受けて実施されました。
⽤語解説
(#1) 水電解
水電解は電気エネルギーを用いて、水(H₂O)を水素ガスと酸素ガスに分解する技術です。主な方式には固体高分子型、アルカリ型、アニオン交換膜型、固体酸化物型の4つがあります。中でも固体高分子型は、効率が高くて起動・負荷追従が速く、装置の小型化やモジュール化に優れています。これにより、再生可能エネルギーの出力変動に柔軟に対応できるため、グリーン水素製造に適しています。一方、触媒として、陽極側で希少金属であるイリジウムを、陰極側で白金を用いる必要があり、活性を向上させて、それぞれの使用量を減らすことが求められています。
(#2) マルチモーダル解析
水電解の触媒反応は複雑であり、1つの測定手法のみを用いて反応機構を明らかにすることは困難です。化学組成・結晶構造・表面形態など異なる情報を得る複数の分析手法を組み合わせる「マルチモーダル」解析の適用が必要となります。
(#3) 二体相関関数解析
X線全散乱測定では、単結晶や粉末の回折ピークだけでなく、バックグラウンド散乱を含む広範囲の散乱強度を高いQレンジ(散乱ベクトル)まで精密に測定します。そこから構造因子S(Q)を求め、フーリエ変換により実空間の二体相関関数G(r)を得ることで、触媒のような微結晶、ナノ材料の局所構造を評価できます。
(#4) 「その場」測定
operando(オペランド)測定とも呼ばれます。材料や触媒が「実際に動作・反応している環境下(温度変化、湿度変化、電位変化など)」で測定し、構造変化や活性サイトの生成・消失などダイナミックな現象をリアルタイムに捉える手法です。「その場」測定を実現するためには、最先端の分析機器と高度なデータ解析技術、専門家との密な連携が必要となります。
(#5) 表面増強赤外分光測定
金属微粒子やナノ構造金属表面上に吸着した分子の赤外吸収が著しく増強される現象を利用した分光法です。プラズモン共鳴による電磁場増強と、金属と分子間の化学的相互作用(化学増強)を組み合わせることで、触媒表面での反応中間体の情報を捉えることが出来ます。
(#6) OER活性
OER反応をいかに低い過電圧(実際に余分にかかる電圧)で、かつ高い電流密度で進行させられるか、すなわち「どれだけ効率よく酸素を生じさせられるか」を示す指標です。過電圧が低い状態を触媒活性が高いと表現します。
(#7) 大型放射光施設SPring-8
世界最⾼性能の放射光を⽣み出す施設で、兵庫県の播磨科学公園都市にあります。理化学研究所が所有し、そ の利⽤促進は⾼輝度光科学研究センターが⾏っています。ほぼ光速で進む電⼦が磁⽯などによってその進⾏⽅向を変えられると、接線⽅向に電磁波が発⽣し、その電磁波を放射光といいます。SPring-8 では、この放射光を⽤いて、物質科学・地球科学・⽣命科学・環境科学・産業利⽤などの幅広い分野の研究開発が加速的に進められています。
(#8)スラブモデルを用いた密度汎関数理論(DFT)計算
材料の表面を薄いスラブ(層状構造)で表し、その上に吸着分子が配置されるモデルを用います。これにより、吸着エネルギーの計算や安定吸着構造の探索を効率的に行うことができ、触媒やセンシングなどにおける材料の挙動に貴重な知見を与えることができるため、スラブモデル計算は表面科学研究のための強力なツールです。
参考図表



論文情報
掲載誌 | Journal of American Chemical Society |
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タイトル | Identifying Active Sites of IrOx Catalysts for OER: A Combined Operando XAS, SEIRAS, and Theoretical Study |
著者 | Neha Thakur, Yadan Ren, Mukesh Kumar, Tomoki Uchiyama, Mitsuharu Fujita, Ikkei Arima, Minoru Ishida, Yingkai Wu, Yuta Tsuji, Hideto Imai, Masashi Matsumoto, Yu Zhuang, Kentaro Yamamoto, Toshiyuki Matsunaga, Koji Ohara, Mitsuhiro Matsumoto, Yuki Orikasa, Yoshiyuki Kuroda, Shigenori Mitsushima, Yoshiharu Uchimoto |
DOI | 10.1021/jacs.4c18510![]() |
資料
研究者プロフィール
光島 重徳
大学院工学研究院 教授
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