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挑戦する横国の学生たち

VENTURE SPIRIT

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創立以来こだわってきた「先尾翼型」が、
悲願を果たし琵琶湖の上を飛ぶ。

1995年設立の歴史あるサークルが今年、廃部の危機を乗り越えて、「鳥人間コンテスト」の出場を果たした。機体の設計製作に携わった野元さんと女性初のパイロットを務めた山崎さんに大会までの取り組みを伺いました。

野元 優海・山崎 菫

理工学部 機械・材料・海洋系学科機械工学EP / 経営学部 経営学科

野元 優海・山崎 菫

失われた技術でサークルを再興し鳥人間コンテストの出場を目指す

——鳥人間コンテスト出場までの経緯を教えてください。

野元:横浜AEROSPACEは、2014年を最後に鳥人間コンテストから遠ざかっていましたが、2024年に10年ぶりに出場を果たしました。この間、サークルは廃部の危機やコロナ禍による大会中止、活動自粛という大きな壁に直面しました。その影響で、技術の伝承が途絶えてしまっていました。しかし、大学の技術交流会や社会人OBとの連絡を通じて途絶えたノウハウを集め、これまでの技術を復活させることで鳥人間コンテスト出場をすることができました。

——どのような機体を使用したんですか。

野元:1995年のサークル設立時からのこだわりであり、サークルの個性を象徴する存在である「先尾翼型飛行機」を使用しました。「先尾翼型飛行機」とは普通、尾翼は後ろにあるものですが、それが前にあるのが特徴です。今年はより変わった設計にして、今までの先尾翼に、さらに1 本の補助翼を追加しました。

山崎:コンテストには飛距離だけでなく、機体にも人にも見どころとなる特徴が求められるため、この機体で出ることに意味があると思いました。

機体の素材も自作して節約、操縦技術も体調管理も万全に

——機体製作ではどのような点を工夫したんですか。

野元:機体製作において自作や工夫を重ねて節約し、限られた資金で品質を確保しました。特に、翼には軽量なカーボンパイプが必要だったため、カーボンシートを重ねて金属パイプで型を取り、先輩が残していったピザ窯のように大きな電気炉で焼くことで自作しました。

——パイロットとしてどのようなことに取り組まれましたか。

山崎:体調管理に非常に気を配り、厳しいトレーニングを積みました。毎朝のランニングやジムでの筋トレを欠かさず、食事も管理してベストな体重維持に努めました。特に、小柄な体型を活かして機体を軽く保つことが自分の強みだと考え、体重オーバーを避けるため、水1杯飲むのにも気を使うほどでした。また、操縦技術の向上にも力を入れ、シミュレーターを使って繰り返し訓練を行い、本番に備えました。

「見たことのない形」がベテラン解説者もうならせた

——コンテスト当日のフライトはいかがでしたか?

野元:フライトは、数々のハプニングに見舞われました。テストフライトでは、飛んだ瞬間に翼が真っ二つに折れるというトラブルが発生しました。さらに、コンテスト当日の機体審査では、炎天下で翼のフィルムが熱収縮してしまいました。それでも、最終的に機体は琵琶湖のプラットフォームから飛び立ち、540.33mの飛距離を記録しました。この飛距離は、先尾翼型飛行機にこだわってきた横浜AEROSPACE史上最長の記録となりました。きれいに飛んだのを見た時には涙がこぼれました。

山崎:フライト中は操縦に必死であまり感動はありませんでしたが、フライト後に仲間たちの元に戻ると、サークル生やOB、家族が涙を流しており、普段寡黙な先輩たちまで涙ながらに「ありがとう」と言ってくれて、その瞬間、みんなの思いに報いることができたと感じました。結果は11位でしたが、サークルは審査員特別賞を受賞し、解説者からは「見たことのない形のものが飛んでいて、エンジニアとして感慨深かった」と高く評価していただきました。

掲載:2025年3月

MY MEMORY

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1.自転車で坂道を登るほどの負荷をかけトレーニングを続ける。2.機体の骨格となるカーボンパイプはカーボンシートを巻いての手作りだ。3.琵琶湖畔、本番前の微調整が続く。4.大空を舞う先尾翼型飛行機。記録は540mを超えた。「鳥人間コンテスト」の模様は公式YouTubeチャンネルで視聴できます。

1995年設立のサークル横浜AEROSPACE

鳥人間コンテストへの出場を目的に設立された人力飛行機製作サークル。1995年以来、水平尾翼が前方についた特殊な機体で記録更新に挑んできた。学内の大学会館裏にある部室を拠点に活動中。

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